子供の頃である。お掛処(かけしょ)へおたや参りにと祖母に連れられ、御門徒のおばあさん達と一緒に泊りがけでお参りしたことを覚えている。
高田別院の報恩講をお待ち受け申す私は、どのように報恩講に出遇えるか、自問するのである。今、宗門は挙げて親鷲聖人七百五十回御遠忌一色である。私自身必ずしもそうではない。むしろ私の身は、親鷲聖人御流罪(るざい)八百年に向くのである。聞くところ二〇〇七年がその年に当たるという。何故私の身は親鷲聖人御流罪八百年に向くのか。去る五月中旬、教区研修会に、和田稠先生が八十九歳の高齢を押して御出講、「流罪について」と題して御講義くださった。その中で、『親鷲の「越後流罪」と言うことは、「浄土真宗発祥」という意味があると思うのです。「越後の流罪」ということがなかったら、「浄土真宗」はおそらく明確でなかったでしょう。ご存知のように、「流罪」以後「愚禿
(ぐとく) 親鷲」を名告(なの)られる。「愚禿の誕生」は「真宗の発祥」です。
法然上人によって吉水において、「真宗教団」が開かれたというけれども、親鷲一人(いちにん)において、重大な真の意味において 「真宗が発祥した」と言うことは、まさに越後こそが「真宗発祥」ということが言えるのではないかと思うのです。』
故平野修先生に学んだ折、「愚禿親鷲」について、『宗祖は、「愚」の横に「たたうと」という左仮名をつけられます。「ただびと」と言う意味です。
自らを「ただびと」と見られた表現かと思います。「愚」は、ただ人であり「禿」は、無位無冠の者。それでいて仏陀の弟子を表わすものです。ただ人であり、全くどんな位もない、どんな地位も持たない仏弟子。「愚禿」ということを学ぶところに、真宗の学習の目標があります。』
私は、和田・平野両先生の御教示に身を向け心を致すとき、越後の御門徒は、こぞって高田別院報恩講に参詣申しあい、「越後の流罪」・「愚禿の誕生」・「真宗の発祥」の意義に出遇い続け、学び続けて往く。いま、このことひとつを憶い、このことを念じ、報恩講をお待ち受け申しあげるのである。
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