
「よきひと」法然上人の「ただ念仏せよ」という「おおせ」を胸にいだきつつ、親鸞聖人が越後の地で見つめ続けたものは、いったい何であったのか。上越に足を運ぶ時、そのような思いがいつも心に浮かんでくる。そんな時、もう一つそこに思い起こされるのは、親鸞聖人の晩年のお姿を間近に写した絵像に描かれるその眼差しから受ける印象である。その印象はあえて言うならば、「静かさ」とでも言うしかないのだが、その眼差しと深く結びついているのが、親鸞聖人の越後での歳月であると思われてならないし、私の中ではそれはほとんど確信に近いものとなっている。
法然上人が明らかにした選択(せんじゃく)本願の念仏は、「善(よ)き人にも、悪(あ)しきにも、同(おな)じように」(『恵信尼消息』・真宗聖典六一六頁)という言葉で伝えられているように、善と悪、富と貧、貴と賤、男と女、出家(僧)と在家(俗)と、絶えず何らかの立場を立て、村立し差別しあいながら生きる私たちが、その関わりを具体的に超える道としての念仏であった。
法然上人が「善き人」「悪しき人」として生きる者の救いを「同じように」と言い切るのは、いかなる時、いかなる場に、いかなることを営みつつ生きようとも、あらゆるものが凡夫として生きているという人間の事実が確かめられているからにほかならない。その事実のみが私たちに「ただ念仏」することを要請するという点に法然上人の教えの根幹がある。
親鸞聖人が、越後への流罪を契機として「僧に非ず俗に非ず」と宣言した仏弟子の地平には、「よきひと」が人間という存在に注ぎ続けた眼差しを継承しょうとする意志が表現されているといえよう。その眼差しとは、人間の存在の事実を一点たりとも抽象化することなく、さらには存在の根源までも深く凝視しょうとするものである。親鸞聖人の九十年の生涯はその眼差しのもとに尽くされ、法然上人の「ただ念仏」の仰せを「大小の聖人(しょうにん)・重軽(じゅうきょう)の悪人、みな同じく斉(ひと)しく選択(せんじゃく)の大宝海(だいほうかい)に帰して、念仏成仏(じょうぶつ)すべし。」(『数行
信証』行巻・真宗聖典一人九頁)と頷き切るところにある。
越後とはまさしく仏弟子・親鸞のその人間凝視の原点であるのである。 |