高田別院だより 2007年3月10日 第14号
「念相続」って
第四組 養性寺 内山 真明

 11月27日、別院にて、「御命日法話」をさせていただきました。聴聞の方々も多く見られ、本当に有難く感じました。

 緊張の為、自分が伝えたい事の三分の一も伝えられなかったのではないかと、感じています。

 私が、法話の場で、お伝えしたかった事は、「相続」という事です。「相続」と一言で言っても「土地相続」や「遺産相続」等の利益的で、人が続けていかないと、続かない「相続」とは違う相続、永遠に続いて行く相続とは何かと言う事を、考えようと思っていました。

 ここ最近は、家族間、友人間での争いが後を断ちません。少なかった事が多くなったのか、それとも見えなかった事が見える様になったのか。私達は、人やものを傷付け、けなす為に人と関わり合うのでしょうか?その様な連鎖が本当に必要でしょうか。その連鎖を断ち切る為に、「念相続」がある様に思います。

 親鷲聖人の著書『顕浄土方便化身土文類六(けんじょうどほうべんけしんどもんるいのろく)(末(まつ))』に聖人は、次の様な言葉を引文(いんぶん)しています。「『安楽集(あんらくしゅう)』 に云(い)わく、真言を採り集めて、往益を助修せしむ。何となれば前(さき)に生まれん者(もの)は後(のち)を導き、後に生まれん者(ひと)は前を訪(とぶ)らえ、連続無窮(けんぞくむぐう)にして、願わくは休止(くし)せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり。と。巳上」とあります。
 
 私達は、私達より前に生まれた存在から、何を学んでいるでしょうか。良かれ、悪かれ必ず何かを私達は得ています。その教えてくれる言葉が「南無阿弥陀仏」という言葉であり存在である様に思います。

 南無阿弥陀仏″と私達は、浄土への思いをはせます。浄土へ、思いをはせると言う事は、過去、現在、未来のどの時代を取ってもこの願いは続いている様に思います。

 私達が、ここから聞かなくてはならない言葉、続けなくてはならない事を、自身の中で確(かく)たるモノになる様にこれからも勉強、聞法を続けていきたいと思います。
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