高田別院だより 2011年8月25日 第23号
無慙愧宣言
輪番 杉本 了恵
☆キッズふくしま☆サマーキャンプインたかだ 2011年8月2日〜6日

 宗祖御遠忌オープニングイベントを翌日に控えた三月十一日、私は本山・御影堂で東北地方太平洋沖地震の揺れに遭った。発生時は、御遠忌に向けた最終チェックの最中だったのだが、突然、ガン、ガン、ガンと大きな音が堂内に響いたものだから、「今頃、何で工事を…」と思ったくらいで、これほどの大地震を直感させるものではなかった。

 しかしそれは、未曾有の被害をもたらす大地震で、福島第一原子力発電所の放射能物質飛散という極めて深刻な事態を招いてしまった。それから五ヵ月。未だ悲痛な毎日を過ごしておられる方々に、心からお見舞い申しあげる。

 そうしたなか、「被災者支援の集い」「宗祖御遠忌第二期・第三期法要」が勤まり、また、教区では被災者支援活動が展開されている。本当にありがたいことであるし、尊いことであると思っている。それは、震災・原発事故が逆縁となり、宗祖御遠忌の意義、寺院・僧侶の存在意義、自身の生活のあり方、あるいは、この国や企業の持つ闇を問えと教えてくれているからだ。

 さらには、「門徒一人もなし」との俄悔(さんげ)から出発した同朋会運動の発足五十年。「同朋社会の顕現」「宗本一体」「同朋の公議公論」を宗門運営の柱とした新宗憲を勝ち得て三十年。宗祖御遠忌、震災、原発事故を含めそれらすべては、生地の縦糸の如くある、時間の流れをのみ語るものではなく、そこに横糸の如くある、人間そのものを問うているのであろう。

 今回、私に依頼されたテーマは、「宗祖御遠忌をお迎えして、これから私達が歩みださなければならない」ことであるが、身勝手という謗(そし)りを懼(おそ)れず「私の出発点」としたい。

『無慙愧(むざんき)』は名づけて「人」とせず、名づけて「畜生」とす。
(『真宗聖典』二五七頁)

 今、このお言葉が響く。「無漸無愧」のこの身を徹底的に知る。内にも外にも「羞じる」ことのできない私を思い知る。
そのことから始めるしかない。原子力によってもたらせていた便利な私の生活。阪神・淡路大震災を経験しながら少しも変わらなかった私の生活。真宗に学びながら教えとは真逆の私の生活。そのことを羞じる心さえない私。だから、私の出発点は「無慙愧宣言−私は何者なのか−」。
別院だより TOP 前へ 次へ