高田別院だより 2010年9月5日 第21号
流罪から出発した親鸞(第四回)
大阪教区 南溟寺住職
戸次 公正(べっき こうしょう)
・専修(せんじゅ)念仏への弾圧
 親鸞は八十五歳の年、二月九日の夜寅時(とらのとき)、夢告を感得した。「弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり」 (正像末和讃・聖典五百頁) あたかも五十年前、住蓮、安楽らが死罪となった日である。前年には長男の善鸞(ぜんらん)を義絶(ぎぜつ)していた。それには専修念仏集団への弾圧が深く関わっていた。

 「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」は旧仏教(顕密(けんみつ)仏教)の内に許容されていた念仏の異端思想である。法然はすべての者は愚者凡夫(ぐしゃぼんぶ)であり、唯(ただ)念仏を専(もっぱ)ら修(しゅ)することでしか仏の救済にあずかれないと教えた。親鸞はさらに徹底して、その救済の主体は本願の絶村的な「他力」であり、人間の側には「他力回向」の「信心」だけがのこると説き明かした。それ故に中世の身分制度の社会の秩序を根底から揺るがすものと危険視された。念仏者は、たえず監視し、取り締まり、一旦口実(いったんこうじつ)あらば捕らえ処刑し、排除する対象とされていたので法難は親鸞の生涯にわたってやむことがなかった。

・悲嘆(ひたん)の眼目(がんもく)
  親鸞なきあと『歎異抄(たんにしょう)』を編著した唯円(ゆいえん)は「後序」に悲嘆(ひたん)の眼目(がんもく)ともいうべき二点を認(したた)めた。

一つは、大切の証文である流罪の記録を忘れてはいないか? 二つには、親鷲の教えを偽造(ぎぞう)・捏造(ねつぞう)してはいないか? (仰(おお)せになきことをも、おおせとのみもうすこと)である。 
「大切の証文」は従来(ふつう)、前十章や後序にある師訓とされてきた。しかし私は末尾に添えられた「流罪の記録」こそがそれであると考える。その冒頭の「後鳥羽院御宇(ごとばいんのぎょう)、法然上人他力本願念仏宗(法然しょうにんたりきほんがんねんぶつしゅう)を興行(こうぎょう)す」の文は、前序の「全自見之覚悟(まったくじけんのかくごをもって)、莫乱他力之宗旨(たりきのしゅうしをみだることなかれ)」に対応するからだ。これを悲嘆の眼目とすることは、親鷲の教えを金科玉条(きんかぎょくじょう)にして他者を裁くことではない。軽々しく「親鸞に帰れ」と精神論を説くことでもない。どこまでも、非僧非俗(ひそうひぞく)のひと愚禿釋親鸞(ぐとくしゃくしんらん)との乖離(かいり)(そむき、はなれる)を慚愧(ざんき)する歴史感覚として信心を磨くことでしかない。 

あれから教団と教学はどんな道をたどってきたのか…。親鷲滅後二百年に蓮如は『御文』によって真宗再興を願い本願寺教団は発展した。やがて一向一揆(いっこういっき)の敗退後、徳川幕府体制下では仏教全体が国家仏教に変質させられた。命がけの布教は廃(すた)れ、「葬式仏教」として民衆を管理するようになった。それでも仏教精神は伝統芸能などに形を変えて日本文化として浸透した。真宗の在野性(ざいやせい)は独自の人間像である妙好人(みょうこうにん)たちにおいて発揮された。

 近代の神聖天皇国家のもとでは国家公認の宗教団体として、日清、日露の戦争をはじめ、アジア太平洋戦争に至るまで、あらゆる国策に追従してきた。われらは親鷲の説いた「浄土」を喪失し、「同朋」を破壊した。「仰せになきことをおおせ」と言ってはばからなかった。それでもこの時代には、清沢満之たちが教団改革の烽火(のろし)を上げ、親鷲に直参(じきさん)する思想・信仰運動を興した。そしてこれまで教団内部だけで研究されてきた『歎異抄』が一般に公開され、聖典として、また古典作品として親しまれるようになった。そこに脈々と流れる「歎異の精神」と「信心のまこと」は今や世界中から渇望されるようになった。

 真宗大谷派では一九七〇年代後半から教団の近代史検証を宗門的課題として着手しはじめた。一九九五年の宗議会(しゅうぎかい)では 「不戦決議」が採択された。そしてここ数年、御影堂の宗祖真影(しんねい)前の欄間(らんま)に掲げられている「見真(けんしん)」大師額(だいしがく)が宗議会で真撃に論議されるようになった。まことに慶ばしいことである。

 これは江戸時代から真宗各派が朝廷に要請してきた親鷲への大師号が、ようやく一八七六(明治九)年に認められ、明治天皇から諡号(しごう)(贈られた称号)されたものである。やがて本尊の両脇には「天牌(てんぱい)」(太上、今上天皇の尊牌)が置かれるようになった。戦後、一九八一年には新しい『宗憲(しゅうけん)』が制定された。「大師堂」の呼称は「御影堂」という本来の名に改称された。「天牌」は一九八二年に撤去された。しかし依然として明治時代の東本願寺のシンボルである「見真」大師号の勅額はおろされていない。この問題をわれらの戦争責任・近代史検証として課題化して荷負していけるか否かを、悲嘆の眼目はじいっと見つめ続けているのではないだろうか。    (了)
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